「佳子師匠の部屋」へようこそ!! 「佳子師匠の部屋」は、那須小川まほろば太鼓の作曲並びに指導者高田佳子先生の語録を収録した「座右の銘」ともいうべきページです。 まほろば太鼓のみならず太鼓を打つ人も打たない人にも感銘を与えるものと思います。 どうぞじっくりお読みください。 |
■那須小川まほろば太鼓第1部「天地の鼓動」のコンセプト この曲は、始まりの阿吽の呼吸部分が大事な曲なので、年数を重ねる毎に味わいが深くなってくるでしょう。 それは、会の結束が固くなっているのに比例するはずで、あのようなベーシックな曲調は、感情がもろにでるので、演奏していて楽しい反面、大変難しい曲でもあります。 また、この曲は、あまり飾らず、荒削りというか泥臭くやった方が効果的だと思われます。 原始時代の素朴な生活。 狩りをして食べてそして寝るという、人が人として本当に原点の生活。 その中で繰り広げられる喜びや悲しみを表現して欲しい。 上手く演奏する必要はありません。 原始の時代に思いを馳せ、自分がその時の人になりきれば良いのです。 なりきるって1番難しいかもしれないけれど・・・。 2002年8月27日付け「(有)鈴木太鼓店掲示板」より引用 |
■演奏の際の“間”の重要性について 私は太鼓の演奏をします。 その中で間ってやはり大切だと思います。 「なんの為に間が必要なの?」と言われると、理由はたくさんあります。 まず、間を持たせることでお客さんが想像力を膨らませることができます。 バババババッッと激しい演奏が続いた次の瞬間に間を空けている場面を想像してみて下さい。 あるお客さんは「何?どうしたんだ?」とびっくりして事の次第を見守るでしょうし、あるお客さんは激しい演奏の余韻に浸るでしょう。 あるお客さんは「次の展開はきっと・・・」と展開を読む楽しみ方をするかもしれません。 そんな感じで、少しの間を持たせるだけで、観客のイマジネーションを刺激することができると思います。 打ち手(奏者)側は、間の間(あいだ)に鋭気をやしないます。 間の間に、次のフレーズに向かう意気込みとパワーをためます。 そして、前以上にも増した気合とパワーで演奏の続きを打ち込むのです。 音楽の間とは、すべて「そーゆーものだ」とは、言いません。 「間の重要性は何?」という質問への私なりの回答です。 2002年9月4日付け「Kuni's Web Site みんなの掲示板」より引用 |
■子どもたちの指導について 人の育て方(子どもたちの教え方)にはコツがあると思っています。 「褒めて伸ばす子、叱って伸ばす子」 この二通りしかないのではと思ったりしています。 『この子はどっちのタイプなのか』というのをいち早く判断するのも、良い指導者としての条件だと思います。 因みに私(佳子師匠)は言うまでもなく褒められて伸びる典型でした。 2002年11月16日付け「(有)鈴木太鼓店掲示板」より引用 |
■良い演奏とは 私にとっての良い演奏って、はちきれてるステージかな・・・ アドリブのフレーズがどうのとか 振りのきめがどうのこうのとか度外視して もうマジでどうでも良くて、楽しくて楽しくて仕方ない! やり終わった後に「楽しかった〜!もう1回やろうよ!!」と 笑顔で心から言える演奏が良い演奏だと思う。 技術的にみたらどうか? 芸術としてはどうか? 一番肝心の音楽としてはどう?って 細かくみると「う〜ん・・・(-_-;)」かもしれないけど 私はそういう演奏をし続けたいなぁ! 自己表現を思う存分できたステージって最高だと思う! 自分の世界観や目指してるものを音で表現して、それと客が一体化してグルーヴしたりしたら、これ以上最高なことってないんじゃない!? どうでしょ? 2003年7月1日付け「(有)鈴木太鼓店掲示板」より引用 |
■子供の演奏について 子供のうちは楽しく太鼓打つのがイイと思われ・・・ 上手に打てれば楽しさも倍増だと思うけど、それだけに固執してしまうのも、どうかと・・・ 大人顔負けのパーフェクトな演奏をするJrチームも数々あるけど、私はそーゆーチームを観ると『凄い!!』と純粋に思う部分と『可哀想に』と思う部分がある。 子供だから、物凄い集中力で素晴らしい演奏出来るし凄まじいまでの集中力を持続させる事も出来る。 でも、誰が観ても完璧で鳥肌ものの演奏出来るって事はそんだけ猛練習を重ねている事で・・・ 週のほとんどを練習に費やしている子供チームもある。 若いうちから、一つの事に情熱を燃やして一心かけて取り組めるものがある事は素晴らしい・・・ 一生懸命できることがあり、それに全力投球している姿勢は素晴らしい・・・ それに結果がついてきていると言う事は本当に素晴らしい事なんだけど・・・ 世の中には色々な出来事があり 太鼓の打ち方にも様々な打法があり 完璧に演奏するだけが能じゃないと言うか・・・ 『上手く打つ』事ばかりに固執しすぎると太鼓の楽しさを感じる暇がないんじゃないかと・・・ えてして、子供のうちは大人のいいなりになる部分が多く 『こうやらないと怒られるから』と言う無意識の秩序が個々の脳内で作用し、素晴らしいけどもツマラナイ演奏をする子供達のなんと多いことか・・・ 太鼓の楽しさを実感出来なければ 本当の意味で素晴らしい太鼓は打てないのではないかな?と思う今日この頃・・・ なにはともあれ、一生懸命な事は素晴らしい事なんだけどね・・・ それプラスα楽しもうぜ、子供達よ!! 2004年11月21日付け「那須小川まほろば太鼓掲示板」より引用 |
■子どもたちの指導について(PartU) |
秋田県太鼓連盟事務局長で蘭導(RANDO)の高橋江里子さんからの特別寄稿です。 これからもイイお言葉をいただき次第追加していきたいと思います。 どうぞお楽しみに!! |
■私なりに思うこと(特別寄稿bP) 子どもの場合は集中力が元から強くない限りは心に波があって当然。 良い日もありゃー悪い日もありーーーのだね。 それを青少年育成と言う名で太鼓を通じて健全かつ伝統芸能やら創作太鼓に触れる事で心豊かになろう!っつーのがこれ太鼓のE所。 これでワルな道行かなきゃそれもそれだし、切欠が何であれ上目指すのは決して悪くないぢゃろ。 伸び盛りな子に対し何でもEから夢中になるような事をやらせてあげたいってのが親の思いだしね。 世の中にゃ沢山の人がいるわけだし、それをアタシごときが選別はしきれないけど、でもね、皆最終的には誰しも“褒められる喜び”が無くちゃやってらんねーー♪ ぢゃない???? 続ければ続けるほど人間関係も問われてくるから“メンバーの良しあし”も当然あるけどさ。 2004年11月22日付け「那須小川まほろば太鼓掲示板」より引用 |
■太鼓バカ(特別寄稿bQ) トップ(まほろば太鼓HPトップページ写真)を見て思うんだけど、子供達を合宿させる意気込みは素晴らしいよね! なかなかやれるようでやれない事だとアタシは思います。 ホント関心してます。 その合宿でどれだけの成果を上げたかはわかりませんが? 太鼓に対する気持ちはキチンと成長されたんだと思います。 子供って将来の可能性が沢山あるから、大人になっても継続して太鼓をやる子が最終的に何人残るのか? って、話しになると結構眉間にシワがよりませんか? それでも最後に一人だけでも面白い奴が登場すると大人は本気になって指導しちゃうんだよね。 ま、それかもしくは大人の指導者達の方が本当に太鼓バカ軍団だからって話しもありですが(笑) どっちかっつーと、後者かもしれないって事を書きながら確信してしまってますが・・・(笑) いずれにせよ、合宿の光景はマブシイね… 2005年6月15日付け「那須小川まほろば太鼓掲示板」より引用 |
■指導は輸血(特別寄稿bR) やっぱりイイ音を教えるからには力説が必要だと思う。 kazuさんの指導する姿が見えるようだった。 きっと目が爛々と光っていただろう。 きっと叩いてもいないのに汗を噴出して力説していただろう。 それがEのだと思う。 それは一番大事な輸血をしていたんだと思う。 色んな注意点を話すのも大事だけど 「気合」の入った演奏を指導するためには 指導者自らが「気合」の入った力説をする! 伝われ!伝われ!吸収しろ!吸収しろ!と・・・ ホント“指導は輸血”と良く言ったもんですね。 2005年8月31日付け「那須小川まほろば太鼓掲示板」より引用 |
■E表情?(特別寄稿bS) 太鼓に携わらない時であっても 本気の表情は人を黙らせる 言葉を発しなくても心が伝わる 当然の事ながら 太鼓は言葉で伝えるのではなく 打ち手の『心』で伝える楽器 太鼓の響き? 心の無い人に響く音は出せないんでない? 力で?そりゃそこそこ必要ではあるけど。 握力とか筋肉とかだけぢゃないんだよね〜… むしろ握力はさほど…と思うが? 創作太鼓の多くは響きを体で表現されたり 手の角度がどーの、技術がどーのはあるが 本気な太鼓ってどんな時に伝わると思う? 本気な心ってどんな精神状態の時か? すぐイメージ出来る? E表情をするためだけの練習って必要だと思います? …いや、ある意味必要かもしれない。 最低限、自分の顔を良く認知するために。 こんな事を書くと色々な意見も出そうだけど… でも!これだけは言いたい。 本番で作り笑顔だけはやめて下さいね 太鼓の音が腐って聞こえるから 2006年11月24日付け「管理人『KAZU』の秘密基地」より引用 |
管理人からのお願い | byはち兵さん |
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