那須小川まほろば太鼓タイトル 那須小川まほろば太鼓プロフィールのページ


こうやって「那須小川まほろば太鼓」は生まれました。

 
那須野ヶ原複合扇状地の南部に位置する小川町(現・那珂川町)は、東に那珂川、八溝山系、西は喜連川丘陵に囲まれ、那珂川の成長とともに肥沃で平坦な地形、まさに「まほろばの里」が創出され旧石器時代より人々の営みが始まり、縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良時代、平安時代へとさまざまな文化の跡を残している。
 関東地方最古の駒形大塚古墳をはじめとする数多くの古墳群、那須地方の政治、経済、文化の中心地であった那須官衙跡、「南無八幡大菩薩……願わくばあの扇の真中射させ給わせ給え……」源平屋島の合戦で扇の的を射落としその名を天下に轟かせた那須与一宗隆の生誕地那須神田城跡、これらは当時の文化を今なお示すとともにその面影を今に残し往時を偲ぶことができる。
 那須小川まほろば太鼓は、これらの小川町特有の古代文化の歴史をもとに、新しい郷土伝統芸能として県の個性豊かなふるさとづくり事業の指定を受け、また、小川町制施行60周年記念事業の一環として平成8年12月、その産声を上げた。

那須小川まほろば太鼓の全レパートリーを紹介しています。

那須小川まほろば太鼓
 この曲は秋田県大曲太鼓道場(現・蘭導)の鈴木孝喜氏と高田佳子氏に作曲していただいたもので、3部で構成され、古代に現代にそして未来にそれぞれの時代を生きる「人々の息吹」を表現している。
 第一部 天地の鼓動(てんちのこどう)
那須小川まほろば太鼓第一部天地の鼓動(てんちのこどう) 旧石器時代〜縄文時代〜弥生時代から題材を求めた小川町の歴史の始まりの章。
 第二部 国造(くにづくり)
那須小川まほろば太鼓第二部国造(くにづくり) 古墳群に見られる民族の組織と支配層の出現、奈良時代最北限の政治経済の重要拠点とされた那須官衙、那須与一宗隆公の生誕そして源平屋島の合戦での活躍などをモチーフにした章。
 第三部 飛躍天翔(ひやくてんしょう)
那須小川まほろば太鼓第三部飛躍天翔(ひやくてんしょう) 小川町の歴史を未来へつなげるため、先人たちの力強く生きてきた魂とともに躍動する我らのエネルギーを熱く燃やす章。

翔け未来へ
(はばたけみらいへ)
まほろば子ども太鼓「翔け未来へ(はばたけみらいへ)」 「まほろば子供太鼓」用の1曲目のオリジナル曲。
子供たちが打ち鳴らすひたむきな鼓動は輝くふるさとの未来を映し出す。
作曲は、保存会副会主星和好。

まほろばの風
(まほろばのかぜ)
まほろば子ども太鼓「まほろばの風」 「まほろば子供太鼓」用の2曲目のオリジナル曲。
まほろばの里を元気に風のように駆け巡る子供たち。
作曲は、保存会副会主星和好。

怪鬼岩嶽丸
(かいきいわたけまる)
怪鬼岩嶽丸(かいきいわたけまる) 「那須小川まほろば太鼓(大人)」用の初めてのオリジナル曲。
那須与一宗隆公の祖先須藤権守貞信(すどうごんのかみさだのぶ)が八溝山(やみぞやま)に棲む蟹の化身「岩嶽丸」を退治し、その恩賞として神田(かんだ)の地を賜り「那須神田城」を築き那須家の祖となったという物語。
作曲は、保存会副会主星和好。

SESSION2002
(セッション2002
SESSION2002(セッション2002) 「那須小川まほろば太鼓(大人)」用の2曲目のオリジナル曲。
下打ちを極力なくし、締、中、大太鼓がそれぞれのパートを勝手に打っているように見えるが、実は全体的にハーモニーのあるかなりの自信作。
これまでの「歴史もの」とは、趣を変え、洋楽に近いものとなっている。
平成14年6月8日の第5回那須みなみ和太鼓フェスティバルで秋田県仙南村菖蒲太鼓とのセッションでデビューした。
作曲は、岸本和英(棒浩明、星好の合作)。

Joyful Beat 〜祭音〜
(ジョイフルビートまつりね)
「那須小川まほろば太鼓(大人)」用の3曲目のオリジナル曲。
祭り囃子をアレンジしたものや4分の5拍子を取り入れ、打ち手も聞き手も「ともに楽しんじゃおう!」が曲のコンセプト。
“5拍子で楽しくそして祭り囃子の祭音”が名前の由来。
思いもかけず締太鼓が目立つ曲に仕上がった。
平成15年5月25日の保存会定期総会記念演奏会でデビュー。
作曲は、保存会副会主星和好。

古羅母//04
(コラボ スラスラ 04)
平成16年3月13日から14日にかけて開かれた第18回日本太鼓秋田県講習会「新曲講座(締太鼓・中太鼓・大太鼓)」の課題曲。
秋田県の各太鼓チームのリーダーさんが、それぞれフレーズを持ちより、つなぎ合わせた曲で、リーダーさんたちの創作だけに、気の抜けないスリリングで過激さいっぱいのフレーズが最初から最後まで続く曲。
平成16年7月24日の保存会定期総会記念演奏会でデビュー。

乱舞
(らんぶ
平成17年3月5日から6日にかけて開かれた第19回日本太鼓秋田県講習会「打込み専門講座」の成果発表用に作られた曲。
講習会では、12人の締太鼓のアドリブ回しがメインで「練習曲1」という名前だったが、まほろば太鼓では、おそれ多くも、打ち手全員によるアドリブ回しにアレンジし直し、そのうえ曲名も「乱舞」と改名。
平成17年7月30日の保存会定期総会記念演奏会でデビュー。
作曲は、蘭導(菖蒲太鼓)の高橋長悦さん。

和太鼓E長調
(わだいこイーちょうちょう)
平成19年3月10日から11日にかけて開かれた第21回日本太鼓秋田県講習会「体育会系打込み講座」の成果発表用に作られた曲。
まほろば太鼓では、作曲者「E子センセ」の「E」を戴き「和太鼓E長調」と命名。
平成19年3月30日〜31日の第3回まほろば太鼓合宿「ミニコンサート」でデビュー。
作曲は、秋田県太鼓連盟事務局長で蘭導(仙北太鼓)の高橋江里子さん。

気魂
(きこん)
平成20年3月8日から9日にかけて開かれた第22回日本太鼓秋田県講習会「新曲講座」の課題曲。
「古羅母//04」以来の名曲中の名曲。まほろば太鼓では、“振り”を“まほろば太鼓流”にアレンジ。
平成20年6月29日の「那須小川まほろば太鼓第10回定期演奏会」でデビュー。
作曲は、秋田県太鼓連盟事務局長で蘭導(仙北太鼓)の高橋江里子さん。



「那須小川まほろば太鼓」の作曲及び指導者
鈴木孝喜(すずきこうき)先生
鈴木孝喜氏

 
鈴木孝喜(すずきこうき)氏
            1950年生れ

 民謡家鈴木蘭導(昭和63年総理大臣賞受賞)の次男として生れ幼年期から民謡、各種郷土芸能の環境の中で育ちながら、青年期はアマチュアジャズオーケストラのドラム奏者として活躍し、編曲作曲も多く経験する。
 昭和53年家業の和楽器製造の2代目後継者となってから和太鼓に関するすべての業務を手掛け、また、昭和60年、大曲太鼓道場(現・蘭導)を創立し、全国から海外まで和太鼓の普及を図っている。
 那須小川まほろば太鼓第2部「国造」、第3部「飛躍天翔」の作曲を手掛けた。

高田佳子(たかだけいこ)先生
高田佳子氏

 
高田佳子(たかだけいこ)氏
            1974年生れ

 小学校4年生のとき大曲太鼓道場(現・蘭導)に入門師事、各種の太鼓をこなす。プロメンバーとして国内各地及び海外公演に参加。個性あるエネルギッシュな打法は多くの太鼓ファンを魅了させている。
 指導分野においては、これまでに秋田県内外の太鼓講座の指導者として多くの団体の指導実績を持つ。那須小川まほろば太鼓第1部「天地の鼓動」は同氏の作曲によるものである。



那須小川まほろば太鼓タイトル ナレーション全文を紹介します。        
 那須小川まほろば太鼓は、曲のコンセプトを分かっていただくため、「ナレーション」を取り入れています。どうぞご覧ください。


那須小川まほろば太鼓

第一部 「天地の鼓動(てんちのこどう)

 ここ那須の地、小川には、遥か遠い古(いにしえ)より先人たちの足跡が数多く残る。
 先人たちは、狩猟、採集を主(おも)とした生活(くらし)を営み、大自然から得られるもの全てを神の恩恵として崇め、そして神は、いつときも万物(ばんぶつ)を生み出すものとされた。
 いまひととき、時空を超え、先人たちの魂をここに。
 古の息吹。生命(いのち)の響き。

  「天地の鼓動」

第二部 「国造(くにづくり)

 ときは過ぎ古墳時代。この地「那須の国」を治めた豪族が現る。そして偉大な首長が没すと、人々は畏敬の念をもち、巨大な墳墓を築き、御霊(みたま)を祀った。今なお、多くの古墳が、当時の栄華を我々に語りかける。
 ときは流れ奈良時代。朝廷は、国づくりを北方へと進めるため、ここ那須の郡(ごおり)、梅曽(うめぞ)の地に「那須官衙(なすかんが)」を構え、北限の重要拠点とした。ここ那須の地、小川にも、新たな文化が芽吹きだす。
 やがて時代は、権力争う、戦いの世へと変わっていく。
 これまで多くの「戦話(たたかいばなし)」のなかでも、源平屋島の合戦は、どなたもご存知あろう。
 源義経に従いて、平家が掲げる日の丸の扇を、愛馬「鵜黒(うぐろ)」に騎して海に入(い)り、「南無八幡大菩薩、願わくばあの扇の真中(まなか)射させ給わせ給え」見事(みんごと)、扇の的を射落とした武将こそ、ここ那須の地小川、那須神田城で生誕した、
 那須与一宗隆(なすのよいちむねたか)、その人である。
 那須の国の古代を偲び。那須の国の隆盛を誇り。そして戦国の世に、士気を鼓舞し、今ここに打ち鳴らす。

  「国造」

第三部 「飛躍天翔(ひやくてんしょう)

 長い年月(としつき)を経て、今ここに、那須の地小川あり。
 遥か遠い古から、力強く生きてきた先人たちの魂とともに、躍動する我らのエネルギーを、輝ける未来に向かいて熱く燃やす。
 そして打ち続ける。

  「飛躍天翔」


怪鬼岩嶽丸(かいきいわたけまる)

 その頃、下野(しもつけ)常陸(ひたち)陸奥(むつ)三国にまたがりたる八溝山(やみぞやま)に、岩嶽丸(いわたけまる)という鬼神(きじん)住みており。
 その口、耳の根元まで裂け、舌を振るうこと紅(くれない)の旗を振うに異ならず、吹出す息風(いきかぜ)は火焔のごとく、十の手足をもって磐石を引き崩すという。
 何処(いずこ)からとはなく現れ出で、人民取り食い、牛馬六畜(ぎゅうばりくちく)に至るまで掴み裂き、その数、いかばかりかを知らず。
 これを憂いた讃岐国(さぬきのくに)の住人須藤権守貞信(すどうごんのかみさだのぶ)、岩嶽丸を討伐せんと、時の帝(みかど)に進み出で申し上げれば、急ぎ罷り下れ(まかりくだれ)との仰せを賜り、貞信、取りも直さず相模国(さがみのくに)まで下向(げこう)し、嫡子相模守(さがみのかみ)ほか二百余騎の軍勢相整えたり。

 時は、天治二年師走の二日、下野国(しもつけのくに)那須郡(なすのごおり)を経て八溝山の麓に陣を構え、馳せ集まる勢子(せこ)その数五百余人。
 貞信、兵を率いて八溝山に攻め登り、黒雲(こくうん)覆う岩穴より、現れ出でし岩嶽丸めがけた鏑矢(かぶらや)は、岩嶽丸が眉間にひしと当たりけり。
 討ち取りしその形(ぎょう)よく見れば、数千年を経たる蟹の化身なり。
 其の身の丈六尺余り、頭(かしら)は牛の形に似て、頭と眉の毛は白馬(しろうま)の尾を見るが如く、其の間より両の角鋭く生えて其の長さニ尺余り、両の眼(まなこ)は一尺ばかり抜け出で金の鞠に朱を指したるが如し、十の手足は四尺七寸にて鉄の錠(いかり)の如し。

 此度の恩賞に、下野那須の守護の宣旨(せんじ)を賜わりて、貞信この後(のち)、ここ小川の地三輪(みわ)に那須神田城(なすかんだじょう)を構え、那須氏繁栄の基(もとい)を開く。

 源平屋島の合戦で扇の的を射落とし、その名を馳せた武将、那須与一宗隆(なすのよいちむねたか)が、那須神田城に生誕するは、これより更に後(のち)である。

  須藤権守貞信 いざ 出陣



翔け未来へ(はばたけみらいへ)


        まほろばの里の
             子供たちが打ち鳴らす
                      ひたむきな鼓動は
       やがて 野を駆け
             空を翔き
               そして 未来のかけ橋をわたり
            輝くふるさとの姿を
                     映し出す

            まほろば子供太鼓 「翔け未来へ」


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